愛知県稲沢市日下部 尾張日下部の郷土史

 

  草部神明社が今に伝える尾張中島郡日下部の千五百年の歴史

 

当地の歴史

この地域は、古代(五世紀頃)に天皇家(大王家)の直轄領である「日下部」が置かれたところと考えられており、大和朝廷成立への尾張地方の関わりを今に伝えている。

 

平安中期の国郡郷名を伝える「和名類聚抄」、長光寺の記録(地蔵堂の露盤銘「草部郷長光寺」)などから、古代から中世には現在の日下部地区を中心に六角堂、北市場、増田、奥田の東部、清須の北部などを含む稲沢市内東南部にかけて「草部郷」が存在したと考えられており、草部神明社の社号がその歴史を伝えている。

 

中世には、伊勢神宮の荘園である「草部御厨(みくりや)」が置かれ、江戸期には国府庄日下部村となる。明治以降の大里村日下部などを経て現在に至る。

  

草部と日下部の意味と由来

草部(草香部の略語)と日下部は同意語で、神武天皇東征の故事「孔舎衛坂の戦い」の地「河内国草香村」の名由来する。

 

「草香」は古代に「日下」とも表記され、古事記序文には、「日下」を「くさか」と読む旨の注記がある。草香を日下とも記述する理由については、草香の地が難波から見て日が最初に照らすところ(日の下)であるとの説や、大和朝廷成立前の物部王国が草香周辺にあったため(漢字の「日下」には「東方の国」「天下」「都」の意味がある)との説がある。なお、「日下の草香」が「日本の倭」に転じ、「日本」の国号につながったとの説も有力である。

 

「部」は、大和朝廷における人民支配の制度で、天皇家が私有する「御名代」や豪族が私有する「部曲」などがある。「日下部」は、古事記や日本書紀などによれば、仁徳天皇の皇子「大日下王(大草香皇子)」、同皇女「若日下王(雄略天皇の皇后)」の御名代で、大和朝廷の拡張に伴い、全国に広く設置されていった。

  

 全国の主な日下部

 ○大阪府東大阪市日下町・石切町付近

 日本書紀による草香村の最有力地で、物部氏や尾張氏の始祖ニギハヤヒノ命を祀る石切剣箭神社(延喜式内社)や神武社がある。

 

大阪府堺市西区草部付近

 日下部首の始祖を祀る日部神社(延喜式内社)がある。

 

愛知県稲沢市日下部付近(当地)

 尾張氏本拠地(真清田神社の付近)の草部で、尾張連草香や、その娘で継体天皇妃の目子媛(日下媛との説あり。安閑・宣化両天皇の母)との関わりもあり得る。

 

○その他

 三河国(愛知県)、甲斐国(山梨県)、丹波国(兵庫県)、摂津国(兵庫県)、出雲国(島根県)、因幡国(鳥取県)、肥後国(熊本県)などに草部又は日下部の地名あり。